読書について

おもしろすぎた。いくつか学んだ点もあるんだけどそれ以上にこのひとの utopianism 的なところだとか他者の批判の仕方が幼稚なところだとか提案はするけど自分では動かないところだとかが非常に楽しく読めた。

http://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Schopenhauer に書いてある生い立ちや家族関係が事実ならけっこうな苦労人ということで思索に向かっていってしまうというのもわかるんだけどそれにしても純粋すぎやしないかというくらいに理想を追求し他人にもそれを求める。

まず自分以外に対して容赦がない。ことあるごとに「おまえら考え無しは黙ってろ」という主張が出てくるんだけどそれが「考えてからしゃべれ」につながらない点がひとつ。なんか「考えたってどうせ無駄だろうからそれなら最初から黙ってろ」的な姿勢なんだよね。諦観も見える。

さらにこのひとが「悪」と考える、匿名で新聞記事を書くひとや単語を変形して新しい語を作るひとに対しての文句が 50 page 以上延々と出てくるんだけど煽り耐性がそれなりにある現代人にしてみるとあまり響かない上に言葉が汚いのでいい印象を持たれない。

うーん微妙に違うな。要は炎上してる blog に対して燃料投下しちゃうような書き方なので効果がないよということが言いたいんだけど。

あととにかく長いので当時の批判対象のひとたちがここらへんを読んだかどうかすら疑問なんだよな。多少文法が変でも情報をひとつの文に詰め込む人間が長文をすすんで読むかどうかという問題。ここらへんの問題は現代人的にははてブ comment で dis られてるんだけど気付かない的なアレも連想させてしまって根深い気がする。

さらに匿名で何かを書くひとを取り締まりたいとか当局は文法の間違いや語を不当に変形させたひとに罰金を科すべきと主張してるんだけどじゃあお前がやれというハナシなわけで。せめて取り締まる具体案を考えるとか罰金徴収する体制を考えてからしゃべれよというツッコミが入るだろここは。

でもこうやって見ると急に中二病罹患者に見えてきて親近感沸くんだよな。というか「ぼくのかんがえたさいきょうのぶんがくし」とかも最後に書いてあってあーこういう方向での世間との乖離は人類にとって普遍のものなのかとか思ってしまった。

ここからはこの本で学んだ点やら納得した点やら。脚注やカッコや関係代名詞的な何かで主張の間に何かを挟むのはやめれという点は素直にそうだと思ったのでこれからおれもそうしようと思う。というのもこの本に脚注やカッコや関係代名詞的な何かがなくてそれがすごく読みやすくて主張がわかりやすいからなんだけど。この点ではこのひとパネェと思った。

いやまぁ他にも文章は口語体で書くべきではないとか句読点をちゃんと打てとか書いてあってそうかもなぁと思わないでもなかったんだけど後者はそのほうが文の流れが追いやすいからという理由があったんだけど前者の理由が書いてなかったのでうーむという。

納得したもののひとつが現代の書物はほとんどが金と時間を無駄にするものだけど古典は年月による淘汰を経て残った素晴らしい書物だから古典をまず読めという主張かな。ちょっと迂遠なんだけど feed 消化を neg ってるときに本当に必要な情報は route を問わず入ってくるということがわかったりして RSS reader で情報の海におぼれるのは贅沢だなぁと思ったあたりと重なったりした。

他にもこのひと文章をわかりやすく書けば読者は一回読むだけで済むんだからぜひそうすべきとも言っててここらへんは第一美徳の「怠惰」に通ずるなぁとか思ってしまった。

もひとつ、書くことについて考えぬいてから書け、そうすれば自然と適切な表現が出てくるからという意見はまぁ問題定義と algorithm の選定をしっかりすれば code は適切なものが書けるはずという実感と一致してあーまぁそうかなと思ったりした。

最後に翻訳について。おれは Deutsch が読めないのでどれだけ正確かを測ることができないんだけど本質が訳してあった感じがしてかなり読みやすかった。訳者あとがきには原文重視か日本語文法重視かで迷ったと書いてあったんだけど元の文を書いたひとの意思をくみ取ることが翻訳者の大切なことだと勝手に思ってるので見習いたいなぁとか。

あーうん読書については当たり前のことが書いてあったよ。