Twitter の効用

腸炎で余裕がなくて Tween を立ち上げることをしてなかったんだけどこの前の風邪のとき ( http://d.hatena.ne.jp/janus_wel/20081217/1229551325 ) に感じた記録ができなくてうぎぎ的な感覚があったので、まだ完治してなくて余裕もないのに立ち上げてしまった。で、感じたことなんだけどやっぱり思考や妄想をすぐに output できる先があるというのは楽だ。脳内のおもしろいことを言う task queue ( たまに stack ) に積まなくていいのと、その結果消費 memory が少なくなるのがわかりやすい効用。もひとついつまでもその思考やらなんやらを見なくて済むので思考が loop しない。結果的に精神衛生上でも効果がある、と思う。って、これ GTD の考え方だな。知らないうちに実践できていたのか。

あと Twitter という出力先に限ったことではないけど思考即出力の効用はけっこうでかい気がする。誰しも output filter をもっていてその border はいろいろな要素に影響されると思うんだけど、そのときの状況で output して場を収拾できるかどうかというのをひとつの判断材料として加えるといろいろと楽ができるというか。こうすると自然と自分のもてる resource ( 時間・体力・金銭・勇気 etc ) も勘案することになるので自己把握につながる感じ。まぁたまに読み誤ることもあるんだけどけっこういい training になる。「要は勇気が」云々も本当に勇気が足りないのか吟味できるしね ( 個人的な観測結果だとここらへんの内省ができないひとにとってこの煽り文句はけっこう効くみたいなので、本当に実行できる resource があるか確認できるというのは自衛につながる ) 。

にしても 1 年弱前は日記に書くこともなかったのに今はいくらでも書くことがあるのはなんなんだろうなぁ。 output に慣れてきたというのは大きいと思うんだけどあくまで cost が下がっただけというハナシなので本質ではないよな。継続によってあるネタを output できるかどうかという border が定まってきたり、伸張・統合・融合なんかを使ってその border まで持っていく手段を獲得できたということなのかな。ここらへん life log の考え方や方法論とも関連しそうだしもうちょっと考えることができるかな。