ひとは荷物を背負ってるとどうにも動きが鈍くなる。で、いままでさんざ引っ張ってきたもんだけどそろそろパージできるくらいにまで分離、知覚できるようになってきたのでここに捨てようと思う。おれのまわりにはいろんな意味で安心してこのゴミを捨てられる人間がいないってだけなんだけどな。

中学 3 年の夏、隣の席だった女の子が死んだ。夏休みに母校の小学校に遊びにいったときに原因不明の心停止をおこしてそのまま亡くなってしまったらしいということをあとから聞いた。通夜で花を棺桶にいれるときに見た彼女はまるで眠っているようだった。そのころからおれは不真面目で授業中に居眠りをすることがしょっちゅうだったんだけど彼女はそんなおれのことをよく起こしてくれていた。そのせいもあってか後日作文を書けと言われたときにおれが起こしてやることはできないとかわけのわからないことを書いたのを覚えている。

いまだに名前も覚えているしなんでこんなに鮮明にあのときのことを覚えているのかわからないがたぶん好きだったんだろうなと思う。まだガキだったから恋愛感情なんてものではなかったと思うけど。ということに気づいたのは彼女ができてひとを好きになったことを自覚した 3 年後に墓参りにいったときだったような気がする。

大学に入って 3 年目に小学 5 年のときにつるんでいた友人が亡くなったということを家族経由で聞いた。バイクで事故ったらしい。凶報を聞いたときに瞬間的にいろんなことを思い出してしまった。

やつを含めた 4 人でいろんな遊びをしていた。そのころはまわりが新興住宅地だったこともあってか廃材が簡単に手に入ったし整地だけされてそのままの土地が多かったので、オフロードコースと称して適当に廃材を並べてチャリ ( マウンテンバイクでもない変速ギアつきの重いチャリだった ) で走り回ったり秘密基地と称していつ崩れるかもわからない小屋のようなものを立てていたりした。

カンシャク玉を道路にまいて観察したり、乾いた破裂音と急ブレーキの音がなった後に全力で逃げたりといった悪さもしてた。ホントに今考えるとバカとしか思えないが楽しかったんだろうな。その後やつが登校拒否になったときも毎日朝迎えに行っていた記憶もある。単純に通学路の途中にやつの家があるだけだったんだけど今考えるとこられるほうの気持ちなんか全然考えてなかった。逆に負担だったのかもしれないと今気づいた。

そんなやつとひとつ約束したことがあった。小学生の会話じゃないなとは今も思うんだが将来ふたりで会社でも作ろうかとか何か面白いことをやろう的なことを話していた。小学 6 年で転校して中学、高校、大学と離れていたけどできれば本当に会社おこしたりそれが無理でもいつかは一緒に仕事ができるといいなと漠然には思っていた。思えばはじめてできた親友だったかもしれない。当時も今も地理的に離れていることもあっていまだに墓前にたつこともできてないがいつか挨拶に行かなきゃいけないなと思っている。

正直ひどい卒論をなんとかでっちあげてホッとしていたところに母から電話が入った。祖父が危篤という知らせだった。地理的に無理な母の代わりに大学からタクシーで病院へいくとすでに親戚が数人いた。祖父は意識がなく呼びかけても反応がない。ヘビースモーカーだったせいか肺を患って数年前から入院していた。何回か見舞いにいったことがある。数ヵ月前には泊まりで看病もした、とはいってもそのときすでに満足にしゃべることもできなかったので何をするでもなくただいるだけだったが。

子供のころから遊びに行くたびにいろいろとしてくれたせいもあってか祖父のことは大好きだった。それもあって大学に入学してから最初の夏休みまでおれは祖父の家に下宿させてもらっていた。肉が好きでかなりの頻度で晩飯が焼肉だったがそれもおれに食わせようとしてくれていただけなのかもしれない。そういえば一緒に酒を飲むことはなかった気がする。当時もう肺を悪くしていたので飲めなかったのかもしれない。ただ、おれの前では豪気な笑い方をするひとだった。

目の前でひとが死んでいく様をはじめて見た。だんだん電子音の間隔が長くなっていく。音が鳴らなくなった後に医者が脈をはかり時計をみ死を告げた。最後は呼吸ができずに苦しんでいたけどこと切れると何事もなかったかのような顔だった。安らかというよりは無のような、からっぽになってしまった感じだった。

そのあとの動きが予想外だった。機器の電源が切られ片付けられていく。親戚が葬儀屋に電話する。みんな死を確認した直後から動き始めていた。おれには祖父の死よりもみんなの迅速な動きのほうが正直いって怖かった。ボーっとしているおれに親戚がいった言葉は「わかりきっていたことだ」。落ち着いてからかけた電話で泣いていた母や妹の反応になぜかホッとした。

その後は遺体とともに祖父宅へ帰り通夜葬式の流れ。正直この 3 日間でいろいろと経験したがかなり負荷がかかっていたんだろうと思う。自宅にもどったあとで体力、精神両面でダウンしてしまった。そのままうつ、実家に強制送還の流れで今はだいぶ回復したんだろうと思うが正直完治しているのかわからない。ただあのときに壊れたことだけは覚えている。

それ以降ずっと考えていた。考え出すと思考のループに陥ってしまって抜け出せない。そして死に引っ張られる。たぶんおれは祖父を否定されたり好きなひとばかりがいなくなったりすることに悲しくなって現実逃避してたんだと思う。さすがにそのままフラフラと故人についていったりはしなかったが一時期はいろいろな体験もした。基本勇気がないので自傷まではいかなかったが餓えていく感覚とか味覚のない状態とかは不思議だった。

ただそろそろ考えるのを休んでもいいと思うようにはなってきた。ありていにいえば飽きたんだけど一通りの思考は済んだ気がする。言い換えれば納得できる答えが見つかったってことなのかもしれないけどどうせ何かのタイミングで再発するだろう。どうなのかな。わかんねぇな。オチはないよ。