GTD

勘違い


何事においてもある程度まとまってからやる / 出すタイプなのだがそれだと RTM で GTD やっても ( http://d.hatena.ne.jp/janus_wel/20080315#1205563709 ) 頭に何かが残っている感じがするのでどうしたもんかなー、と思っている。要は GTD できていないだけなのだがじゃあどうすればできるのか的な思考。

とりあえずはまとまりを細分化して実行可能単位なり 5 分で終わるタスクなりにブレイクダウンできるようにトレーニングすることが重要だとは思っているが、曖昧なものを具体的に細分化していく過程は時間がかかるのよね。時間がかかるから心理的負担もキツくなってその心理的負担がやる気をなくさせてしまう。そのネガティブスパイラルで遠ざかる。

となると困難の分割を適用して、負担を負担と思わなくする ( 問題の非問題化 ) のと時間がかからないように何度も繰り返す ( 根本的解決 ) の 2 点を実践してみればいいわけだ。しかしなーそもそも俺の場合忘却による物事の消化の比率が高いのよな。最初俺に何かが入ってくるときは関連したもの ( 俺が関連したと思うもの ) 全てがどちゃっと入ってくるのでそれの分解に手間取ってしまうというか、最悪投げて実は関連していなかったものの忘却を待つスタイルというか。だからこそ同時平行になりがちなんだけども、最終的に問題そのものが分解されてしまうとか ( 結果的に OK ) 問題そのものを忘れてしまう ( 忘れちまうようなものは重要なことじゃないという観点では OK だが腐って出てくることもあるので長期的に NG ) とか一定しない。これを安定して行いましょう的に GTD を使うのも本義に含まれるのでってあー、堂々巡りか。

とりあえず実際に問題分解の時間短縮を行う上で問題になるのは関連のうちで言語化できないところか。感情が一番厄介なんだよなぁ。言語化する上で歪曲化・改変が起こりやすいしそもそも認めたくないこと言語化したくないこと ( 某 Z 氏に有言実行と言霊について仕込まれてから特に ) に対しては…、んー、ある種の羞恥プレイ ( 言語化プレイ ) にもなるのでその範囲でやっていこうというスタンスでもいいな。苦痛は回避するに限る。

それにしても内に秘める情熱を言語化することを強要する世の中というのも生きにくいなぁと、一瞬考えた。が、この方向掘っていくと中二病とかと関連しそうなのでやめよう。