not Lou

おれはたいていめんどくさくないときには外来語ぽいものはそのままの表記で書いてるんだけど、たまに同じようなひとを見かけるのでそのひとたちがどういう考えでそうしてるのかちょっと知りたい。んだけどおしえろこのやろーって言っても教えてくれないだろうからおれの考えを書いておく。だいたいあってるとかちがうとかだけでも反応があるといいなぁと思いつつ。

全部で 3 つの理由と 1 つの条件がある。

  • 意味
    • 要は context と言語の分解能の問題なんだけど、たとえば英語の単語をカタカナで書くのと alphabet で書くのだと持つ意味が微妙にずれてくる場合があるんじゃないかという。これは別に英語に限ったはなしじゃないんだけど、日本語として輸入されるときに特定の意味しかはいってこないとか複雑な解釈を経て元の語にはない意味ではいってくるとかの問題があるので、誤解を防ぐために意味を特定しやすい表記を使ってる感じ。
    • 最近は言葉の変容も速いので流行や一部 domain では常識的なものとか予測がつかないってのもある。この場合はどうしたってかちあうときがあるんだけど、もとの表記で書けば調べやすいし「たぶんアレのことだろうなー」って判別がつきやすくなるという heuristic な解法でもあるんだけど。科学や技術関係は英語で言葉が作られたりすることが多いのでそれをカタカナにしてもぶれるというかなんというか。文学とかでも中国の漢詩を語るのに常用漢字を使うのは混乱しそうというのもあるな。
    • たとえばナイスと nice だとたぶん受け取り方が違ってくると思うんだよね。ひとによっては nice の持つ意味すべてをナイスとして扱ってる人もいるのかもしれないけどそのひとが「上品な」って意味でナイスって書くと読む側はたぶん混乱するというか。戟と矛も違うものなので一緒にすると混乱するよね ?
    • まぁその言葉が持つ意味の判別を視覚的に行うには、その言葉の属している言語表記で書くしか方法がないという消極的な理由もある。
  • 固有名詞
    • 少し上とかぶるけど違うと思うのでわける。海外のひとや会社の名前はカタカナや常用漢字なんかへ変換をかけてしまうと失礼にあたるんじゃないかという感覚。名前にはなにがしか意味がこめられているだろうし、安易に変換してしまうとそういった意味をそぎ落としてしまうんじゃないかということなんだけど、これは純粋に言葉の持つ情報の loss という問題ではないよな。まがりなりにもひとの名前を扱うわけだからそのひとが自分の話題だとわかるように書くべきというか。
    • vimp のいいだしっぺである Martin Stubenschrott 氏をマーティン氏って書いても Martin 氏は気付かないだろうというか。いやまぁ日本語の文章中にいきなり出されても困るとかはあるんだろうけども。あと Stubenschrott ってどう読むのかわからない調べられないなんてときも情報を切り落とさずに書けてしまうというか。まぁこれは余談だな。日本人でも長島☆自演乙☆雄一郎氏を長島雄一郎氏と書いて何がおもしろいのかという問題もある。
    • 実はこの理由がけっこう大きいんだけどカタカナで読むと違和感を感じたり下手すると意味がわからないときがけっこうあるというか。ローンチから launch がパッと出てこなくて何言ってるかわからない時期がおれにもありました。これはけっこうひどい例だと思うけどたまによりも多い頻度でこういうこともあるので困る。
    • あと文章読むとき頭の中で音に変換しながら読む場合あるよね ? ていうか人間は音か画像に変換しながら認識してるらしいんだけどおれは switch するタイプ。で、音変換 mode のときだと表記と意味が遠いときがあるというハナシ。サムシング -> something -> 何かみたいに迂回する。他人の書く文章ならしかたないんだけど日記はおれがおれのために書くものなのでそういう労力をかけたくないというか。
    • あとこれは L と R の違いもわからないおれが言うのもアレなんだけど元の発音は完全にカタカナに写像できないはずなのでそこが引っかかってしまうという。なんでもカタカナ化、自分流にしてしまうのは日本人のクセともいえるけど教育的にこれはあんまりよくないよなー。日本語が滅びるかどうかとかあったけど異質なものを吸収する形で同化して ( 一部の人間がやる ) あとは自国内でグルグル回す ( 大半の人間がやる ) ってのはそらみんな外に出て行けなくなると思うよ。
  • 環境
    • うえ 3 つは理由。で、最後は条件のハナシ。
    • 言語学ぶのにそんなに高いコストを支払わなくてもいい学習環境が整ってきたっていうのがまずデカイ。 wired なら英語はタダで好きなように学べるし他の言語も辞書がそろっている & 生きた言葉がそこら中に転がっているのでどうとでもなる。別に wired な環境でなくても本買うとか、やろうと思えば立ち読みで勉強だってできるわけで。
    • 多言語混在の表現が容易にできるようになったというのも大きい。 Unicode の普及が進んだってのが実情だと思うけど同一文書に気軽に Schönen Abend noch とか你好吗 ? とか書けるのはやっぱりすごい。問題はまだあるし解決するかどうかはわからないけど character set の統一は着実になされているよね。