ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 序

映画館へ二度観にいった妹が買ったのでミニ鑑賞会勃発。雑感。

見せ方として古臭いのは意図のうちなんだろうか。光の当て方は古臭いというより懐かしい感じだけど。ていうか服装のセンスが古い。ミサトサンとか今じゃ見かけないカッコしてる。 NERV の制服も時代を感じさせるというかカーキ色は今使わない色の一つだと思うんだけど。いやまて今ウォークマンを模したようなものが見えた。ええと、テレビ版では 2015 年の物語で 1994 年のブームをそのまま使っている -> 今作では何年の物語かわからないが 1994 年のブームをそのまま使っている、ということか。つまり時代年代はどうでもよいということ ? あとは描画の仕方というか演出というかそこらへんは和 ( national / unity ) と huge / mass と flat な羅列とが前面に出てるよなー。 Welcom Tasks, 来々作業。軍隊の行進とかマスゲーム的美しさが理解できないと目に付くよねというか俺はちょっとクドイと感じてしまうほう。

最初の出撃のときのファンファーレっぽい音楽て音程的にきてほしいところをあえてはずしてるのかな。音楽理論的にはこういうのを言い表す言葉があるのかもしれないけど知らないからこういう言い方になっちゃうんだけど。こういうのっていまいち覚悟の決まってない感が出ている気がするけども演出的にはそれでいいのかなぁ。ていうか今回の音楽はなんか最初から悲壮感というか最終感が漂ってる。クラシックなのかどうかは俺では判断できないけど下へ下へもっていく音楽はツライかも。

中高生向けのエンターテイメントとして作るって言ってる ( http://eva.yahoo.co.jp/gekijou/big_message.html ) けど初見の人はまず各所に漂う気持ち悪さを克服しないとダメだよなー。なんつーんだろ、あくまでも感覚的なものなんだけど描写の生々しさとか、逆に人とモノの存在感の逆転とかが既存の感覚と乖離しやすくて酔うんじゃないかなぁ。俺最初テレビ版観たときに拒絶反応出たし何とか最後までもってったときも初号機のかっこよさでもってたようなモン ( 俺の中では純粋なロボットアニメという定義 ) だしなー。いやでも俺の言う既存の感覚って昭和晩年に熟成されたものを指しているから今の中高生の感覚とは違うのかも。平成で育まれる感覚だとこういう描写がすんなり受け入れられるのかもしれないけどそれは本人たちに聞いてみないとわからんよなー。

そうだロボットとしての初号機なんだけど蛍光部分はかっこいいとは思うのだけどまだそれだけ感も強いというか。テレビ版で見たときの技術設定なんかは面白くてけっこうハマったんだけどテレビ版の時代と比べて引用元も作画も技術が発展している上に今作はなんかキレイにまとめていこうという方向みたいなので没入するのも難しい。戦闘シミュレータの外観とか手袋はげたら人の手とかの人造人間の見せ方は慣れないと生理的に辛いかもしれんけどでも現実化してもそんなに違和感ないように描かれているというか。

冬月の言っている「14年前からのシナリオ」ていうのは多分 2nd impact からの年月とテレビ版開始からの年月 ( テレビ版開始 1994/10/04 〜 今作放映 2007/09/01 ) のダブルミーニングだと思うんだけどこれは今作における死海文書がテレビ版とかいう解釈でいいのかな。最後のカヲルくんも「また 3 人目か」とか言ってるし。参考にして面白いものを作りますよ的な意味で捉えるのが健全だと思うけど今回も最後の方で色々ぶっちゃけそうな気がするのよね。まぁそれはそれでどういう方法を使うのか見てみたいのでどっちにしろ最後まで観る予定ではあるんだけど。

今回はヤシマ作戦での山が吹っ飛ぶシーンがヤマかなーとか。その前後じゃなくてそのものが。山が吹っ飛んでいる ( 進行形 ) 描写というのを観たことがなかったのでこんな感じになるのかなーとか思った。