ドル安

びよーん


最近ニュース番組でしきりに円高円高言っていて違和感を感じたので書く。

まず現状について。円高ではなくドル安。アメリカのターンではなくなってきただけだ。きっかけはサブプライムローンの破綻かもしれないし他に要因があるのかもしれないがんなこたどうでもいい。金をアメリカに集めようという風潮が崩れてきたとかアメリカが過大評価されていたとかんなこともどうでもいい。そんなこた数年後の経済学者がなんやかやと理由を付ければ済むことだ。単純に現在アメリカが失調していてアメリカは全世界と関わりを持っていてそれで世界が全体的に煽りを食っているだけだ。

違和感の原因もここにある。なぜドル安と正確に言わずに円高などと主張するのか ? 円つまり日本の評価が高いと思っていたいのか記者クラブ経由の情報を流すだけの能力しかないのか、これもどうでもいいが情報錯誤もいいところだ。正確でない情報、この場合は意図的に歪められた情報は必ず不具合を撒く。

そして最近のメディアについての違和感だ。どのメディアも信用が落ちていることは折込済みだがそれでも最近はヒドイ。内容については相変わらずの玉石混合でたまに読みたい・観たいものもあるが昔ほど信用度は高くない。自前で裏づけが必要というか、そのままでは怖くて信用できないレベルになってしまっている。ただこれは現代になって情報経路が多重化しているので特に感じることなのかもしれない。昔は口コミだけだったのが新聞が始まりラジオが始まりテレビが始まり WWW で初めてプル型になって能動的に確認できるようになっただけという。まぁこれはいい。いや良くないが。

情報の伝播に関してはよりひどい状況になっているはずだ。最近はインターネット配信が当たり前になっているがその一方でそれ以前に重宝されていたメディアの価値が相対的に下がっている。いや違うな価値ではない。そんなものはメディアの飽和しきった都市部での、より突っ込んで言うならメディアに多元的にアクセスできる環境にある人間の話しだ。そうなると必然的にアクセスできるメディアが限定される人間やメディアリテラシの低い人間には辛い世界が構築される。あっち側にアクセスできる機器を持っていないとかわからないとか疲れるからやらないとかそんな人間はごまんといる。そんな中で今は選択肢の拡充ではなくある特定経路へのシフトという流れになっている。

それは社会格差とかマッチョとウィンプとかに着地させることもできるがそんなことで断じていい話題ではない。もっとこう普く人類を幸福にする科学の徒である我々がッ !! という方向だと思うのだが妄想し疲れた。あぁなんかやっぱりメディア論になってしまった。ガス欠。