wired slave

昨日今日明日と所用でいつもの環境が使えないんだけどこれがかなりイタい。ちなみにこれは宿にあるテケトー環境で書いている。

でまぁ、使い慣れない環境による operation の miss とかまぁいろいろあるんだけどそれ以上に普段から network が前提の service を呼吸するように使っていたんだなぁと改めて実感した次第で。

最低でもこれがないとダメだ ! というのが 4 つあって、

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あたりは体の一部になってしまっている感覚。 3 日くらい大丈夫じゃろハハハこやつめとか思ってたら 1 日で限界だったね。新しい情報にふれてないと禁断症状ぽいものが起きるみたい。情報取得は報酬系を強化しまっせー。

まぁここらへん筋を違えると情弱云々という方向へ向かってしまうのかもしれないんだけど network 、というか日本語の「インターネット」まわりは「面白いものに出会えなかったことを恐れるのは不健全、面白いものに出会えたことを喜ぶのが健全」という姿勢でいるのが〜、って誰かが言ってた気がするのでその方向を堅持しつつ。

ただまぁ見逃したくないものもあってたとえば http://vimperator.g.hatena.ne.jp/nokturnalmortum/20101015/1287153387 みたいなのは早いうちに意見を出さないと個人だけでなく community も萎えてしまう側面があってこれを満たそうと思うと今はもう iPad みたいな mobile gadget で快適な情報摂取環境を作る & 体を慣らしてしまってあとは環境ごと持ち運ぶ、という方向が健全な気がする。

まぁ community 活動は情報の発信もしないといけないわけだけどそれ以上にみんなの意見を聞く機会がないとダメなわけで。そういう意味でいつでも受信できる環境の構築は比重が大きいのかなぁとか思った。発信だけなら本当に大事なことをひとつだけ Twitter に流せばいいわけだしね。

と、ここまで考えると「インターネット」は本当に厄介なものになってきたなとは思う。 e-mail から social network service まで、だんだん応答時間の短さを要求されるようになってきている。最近流行りの Facebook は時間的な response の良さがハマる理由のひとつだと指摘されているようだし「いいね ! 」は 1 分以内とかいう local rule も出てくるかもしれない。

というあたりを踏まえてのおれはそもそも流行に疎くて過去への旅が多いので Tim Berners-Lee 氏の提唱した Web の、どちらかというと資料性を重視した時間的にはゆるい概念が好きなんだけど、 social graph の効用というのは面白いのでちょっと両立が難しい、という結論になり。

ここらへんは心情的にも action のための energy 的にもふんぎりつけてこなさないといけないとは思うけど、まぁなんとかなるだろうしなんともならなかった場合はおれ自身もなんともならないわけなのでそうだな、要はなるようにしかならない、というところか。こんなオチで大丈夫か ?