多芸は才能、器用富豪

誰が言ったのか知らないが多芸は無芸、器用貧乏という言葉があっていろいろなことが出来るのは逆によろしくないということを言っているんだけどそうでもないっていうか最近は特にいろいろなことが出来るとよろしい。

多分件の言葉の意味は高みに達するために一意専心せよという意味だとは思うんだけど別に専心せずとも道を極めることのできるものもいる。さらに言うならある程度の level のものを組み合わせて昇華させることを否定している言葉でもある。

別にここまでの理屈をこねなくても普通に考えて何でも出来た方がいいに決まっている。実際最近の世の中の流れは細分化が進んでいるので求められる skill は多くなるが相対的に個々に求められる level は低くなる。というか level が高くても素人にはわからない。逆に横断的にすべてを組み合わせたほうができることは多くなる。細く短い道でも組み合わせるといろいろなところへいける、そういう道を通るものが多くなれば大きな極める価値のある道になる。

ただまぁよほど multi task の才がある人間でないと一度に習熟できる範囲は限られているのでここまでのハナシはある程度の span を前提においた考え方であるとも言える。要は守・破・離を一度はきっちりとやれということだな。

で、ここでは別に道を極めることを否定しているわけではないということ。かなりの高みにある人でも実力がはかれないくらいの能力がないと解決できない問題というのも未だに存在するしそういう specialist が集まって組織を作ることにここらへんの考え方が流用できる。つまり同じ才能を揃えるよりはそれぞれ突出したものをもつ組織を作った方が出来ることは多くなる、というあたり。ここは前述した時間の制約も解決できるはずで、二兎を追うなら二人で追えばいいという発想。ただそもそも実力をはかれないものをどうやって連れてくるんだとかすべてに精通したものがひとりはいないとまわらないだとかの問題が出てくるのはおいといて。

というようなことを延々とたれる pink の Ganesha が夢に出てきてイラッとしたという小咄。