CHRONO TRIGGER

そういえば CHRONO TRIGGER が DS で発売していたんだった ( http://www.chronotrigger.jp/ ) ということを思い出してどうするべきか悩んだ。というのも original 発売当時にこれをやっていろいろと自分の中でイメージができてしまっているのでそのイメージをどう扱うべきかという問題で。経緯は「ウェルメイド感」という言葉からゲーオタ体験が掘り出されてしまって唯一該当した CHRONO TRIGGER が前面に出てきてしまったというあたり。何が起爆剤になるかわかんないね。

いつ頃からから知らないがおれは昔から ( 当然 CHRONO TRIGGER 発売当時も含まれる ) ゲームの主構成要素のうちシナリオ・音楽・見せ方 ( 絵というより絵の動かし方や出すタイミング。どちらかというと user experience の部類 ) というような順番で見ていっているんだけど、 CHRONO TRIGGER というゲームはすべてにおいて圧倒的にすごい・すばらしいというイメージを持っておれの中に君臨している。さらにそれらの複合として完成されている、これ以上はないというようなイメージすらもあって最近自分で見てて害としか思えない懐古厨的なものを自分自身に感じてしまうことも。

たぶんこれは当時におけるゲームから受けた印象とその後膨張したものがごっちゃになっている部分があって、さらにわからされたというか一種の完成系を見てしまったのでもういいかなという諦観も醸成されてしまっていて、いま自分でここらへん探っててキツいものが。そういう意味で 13 年という年月は再評価するには妥当なのかも ( そういったイメージを崩したくないわけではないというかむしろ積極的に崩してしまって現実のものをきちんと再認識したい ) という誘惑もあり、いやでもそのイメージが崩れたときに何か違う方向へ吹っ切れてしまわないか ( 別に崩れたショックで全否定に回るとかではなく、なにか別の創作活動に目覚めてしまわないかという自分で見てても青臭い感情 ) という懸念もありで悩ましい、といった状況。まぁそのイメージが崩れないという可能性もあるわけだが厨二絶世期といまの感受性が同じというのもあまり望ましいことではないし、たぶん違うだろうという確信もあるのでそこはあまり心配していないというか。

これはやっぱりじっくり腰据えてやるべきかな。いつまでも自分に対して懐古厨乙的な感情を持ち続けるのは健全ではないし、この文章を書く経緯でおれの中でひとつの障害ぽく認識されつつあるので乗り越えるべきというか。問題の解決はさほど難しくはないがそれを問題として認識するのが難しい問題 ? そんなたいそうなものではないか。

あと付加的に CHRONO CROSS も再評価したいというか。 CROSS やったころには TRIGGER のシナリオが完璧に頭から抜けていてシナリオがそもそもよく理解できていなかった + 同年代の否定的な評価・少し下の年代の絶賛的な評価の乖離原因を検証したい + ラジカル・ドリーマーズや開発スタッフまわりも含めて少し整理したいというのがあってそのためには前提のひとつである CHRONO TRIGGER を避けて通れない状況になっている。まぁここは TRIGGER 周りの問題をクリアできたら改めて考えるべきところだな。