リファラ

リファラを辿ってみるとたまに mixi からリンクされていて当然のごとく見に行ってみるわけだけど、非公開のコミュニティだからと言われて見られない。こういうのを見てしまうとインターネットも多様化したものだなぁと思ってしまう。

あっち側 ( サーバ、という表現ではもう不十分だなぁ、パブリックスペースとかクラウドとかか ) にあるものはアクセスが当たり前だという感覚はもうシフト済みのパラダイムとして扱うべきなのかな。コミュニティをパブリックとプライベートを止揚させた存在であるならば、既にその器はできているし ( 技術的側面 ) 器は満たされつつあると言っていい ( 社会的側面 ) 状況だ。

そもそも古来から続くチャットや比較的新しい IM 関係などを考えればかなり前からパブリックからプライベートを隔離する技術は確立していたがあくまでその場限りの、セッション志向なものだった。その延長として「あっち側」に恒久的なスペースを確保したものと見なせば帰納的にこうなることは類推できたはずだ。

俺のインターネット感は大学やらオープンソース開発やらの「公開原則」の流れを汲んでいる上に、あまりコミュニティに属してこなかったのでこの変化に驚いているだけなのかな。ただ、なぜリファラがあるかというと犯罪・違反の抑止力 / 痕跡という以上にトレンドなどの情報の断片でもあるし、共有するとみんなが幸せになれると思うのでもったいないなぁとは思う。